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「ありがとう、寄り添ってくれて」。あつま災害エフエム、2年3カ月の放送に幕

2021.02.15

2020年12月29日、臨時災害放送局あつま災害エフエムが閉局しました。

北海道胆振東部地震のわずか2週間後に放送を開始してから、2年3カ月あまり。多くの町民の生活再建が進むなかで、臨時災害放送局としての役目を終え、1400回にわたる放送にピリオドを打ちました。

発災当初は給水や炊き出しなどの救援情報が中心でしたが、まちの復旧と足並みをそろえるように日常的な地域情報の発信にシフトし、復興の歩みを側面から見つめ続けてきたあつま災害エフエム。

開局時から放送に携わってきた厚真町職員の丸山泰弘さんと、地域おこし協力隊の村上紗希さんに、この2年3カ月を振り返ってもらいました。

 

開局2日前のLINE。「ラジオでしゃべらない?」

厚真町役場の一室に設けられたスタジオ

そもそもラジオ局は誰でも好き勝手に始められるものではありません。放送のための機材はもちろん、開局には総務省の許可が必要です。それを臨時の措置として、無線局免許状の交付を認めるのが災害エフエム(臨時災害放送局)です。

災害エフエムは、豪雨や洪水、地震などが発生した場合に、その被害を軽減する目的で地方公共団体などが一時的に開設できます。1995年の阪神淡路大震災をきっかけに創設され、新潟県中越地震や東日本大震災でも多くの地域で災害エフエムが立ち上がりました。

北海道では2000年の有珠山噴火のときに第1号の災害エフエムが誕生し、厚真町は道内3例目になります。

 

開局にあたり運営を任されたのが、丸山さん(当時まちづくり推進課)でした。じつは丸山さん、厚真町の職員になる前は8年間、函館市のコミュニティFM「FMいるか」で働いていたのです。その経験が買われてのキャスティングでした。

ラジオ放送の要となる送信機は北海道総合通信局から、CDデッキやミキサーなどの機器はJCBA(日本コミュニティ放送協会)を通じて道内各地のコミュニティFM局から借り受け、災害対応で騒然とする庁舎内の一角に臨時のラジオ局が立ち上がりました。

 

開設当初から運営に携わる厚真町役場の丸山さん。 当時とは配属課が変わった現在もパーソナリティーを務めている

放送のための機材は整ったものの、問題は丸山さんのほかに「誰がしゃべるか?」でした。

まちづくり推進課の職員で順番に担当できればいいのですが、誰もが災害対応業務でてんてこ舞いな中、余震や台風があった場合には住民避難の対応が優先されます。「誰か一人、自由に動ける人がいてくれたら…」。このとき丸山さんの脳裏に浮かんだのが、地域おこし協力隊の村上紗希さんでした。

 

丸山さんからのLINEが村上さんに届いたのは開局2日前、9月18日の夜でした。「おつかれさま。ラジオでしゃべらない? 毎日じゃなくていいので」。

これを読んだ村上さんは「丸山さんがメインでしゃべって、自分はゲストのような感じなんだろう」と思ったそう。軽い気持ちで「しゃべります」と即答しました。ところが、翌日の打合せで内容を聞いてびっくり。まさか自分がパーソナリティー(司会進行役)としてマイクに向かうことになるとは…。

 

胆振東部地震の半年前に地域おこし協力隊として赴任した村上さん

「あれよあれよという感じです。開局当日は女川(宮城県)や釧路、室蘭といった道内外のFM局の方が機械操作などの支援で駆けつけてくださり、その上報道の方もいて狭いスタジオはギュウギュウ。そんな状況で第一声のコールサインです。すべての視線が私に注がれている。ただもう緊張でガッチガチでしたね」と村上さんは笑います。

それにしても、打合せの段階で断ることもできたはずなのに、なぜ村上さんは大役を引き受けたのでしょうか。そのときの心境をこう振り返ります。

「地震が起きて2週間。私にも何かできることはないか、それが見つからず悶々としていました。そんなときに丸山さんが声をかけてくれたんです。だから、もちろん地域のためという気持ちもあったけれど、『私にもできることがあってよかった』という気持ちが強かったのが正直なところです」。

 

村上さんは、その半年前に地域おこし協力隊に着任して厚真町に移住したばかり。ライターになるという目標をかなえるため、まちの魅力を発信するWEB記事の執筆に携わり始めたところでした。また、並行してカレー居酒屋をやりたいとオープンに向けた準備を進めていたさなかでもありました。活動の今後が見えないなかで、ラジオ出演は村上さんにとって一筋の光だったのかもしれません。

 

放送前にはその日の原稿内容や、リスナーからのメールの確認も行う

放送開始から3日目、ラジオ局に一通のメッセージが届きました。

「お互いに大変だけど、がんばろう」。差出人は村上さんの高校時代の恩師。開局を伝える報道で教え子の姿を見つけ、すぐにメッセージをくれたのです。

「受験のときに本当にお世話になった先生でした。10年以上、ご無沙汰していて。メッセージで鵡川高校の校長先生をなさっていることを知りました。まさか隣町にいらっしゃるとは夢にも思わず、びっくりしました。普段なら放送前にメッセージには目を通すんですが、このメッセージは丸山さんから本番中に手渡されたんです。サプライズですよ。生放送中なのに、不覚にも涙をこらえるのに必死でした」

 

 

「あなたの声に救われた」

放送開始当初は給水や仮設風呂、炊き出しなどの情報や、道路の通行止め・復旧、罹災証明書の受付に関する情報など、救援や復旧にかかわる情報が中心でした。多くは防災無線で発信する行政情報の繰り返しでしたが、車の中や、避難所の自分のスペースでイヤホンをして聞くことができるのも、防災無線にはないラジオならではのメリットでした。

 

 

発生から3カ月を迎える頃には被災した町民が仮設住宅に移り、すべての避難所が閉鎖され、「仮」とはいいながら少しずつまちは日常を取り戻していきました。救援活動が一段落したことで災害エフエムに携わる町職員も増え、5〜6人のメンバーで1日3回の放送を回せるようになりました。

当初は緊張の連続だった村上さんもこの頃から「あまり気張らずにできるようになった」と振り返ります。「室蘭のFMびゅーの方がアドバイスをしてくださったんです。『マジメに伝えることももちろん大事だけれど、ここに来るまでにどんな天気だったとか、スタジオから見える夕焼けがキレイだとか、あなたの感じたことをあなたの言葉で伝えると、ラジオの向こう側の人と同じ時間を共有できるよ』と。それから、今日は何をしましたとか、こんなお店を発見しましたとか、プライベートの何気ない出来事を話すようにしました」。

 

 

応急対応から復旧・復興へとフェーズが変わるなかで、ラジオの役回りも変化していったと丸山さんは話します。「当初は日々更新される救援情報の発信が求められましたが、だんだんと救援情報自体が減っていくなかで、ラジオをつければ決まった時間に番組が流れる、そのこと自体が大事だなと考えるようになりました。『よりどころ』とまでは言わないけれど、ラジオを聞けばいつもと同じ時間が流れているなと感じられる。言ってみれば“普段着”のラジオです」。

 

 

「天気情報・行政情報・町内情報、この3つは番組で必ず伝えるようにしていましたが、あとはみんな自由に話すようにしました。理系の女性パーソナリティーであればクイズを出したり、歴史好きだったら偉人を紹介したり。私ですか? 他愛もないことばっかりですよ。雪が降りましたね、道路が滑りやすくなっているから気をつけてね。今日のスタジオは寒いです。温かい飲み物はホッとしますね。そんな世間話ばかりです。新聞を読んで気になる記事を紹介したり、ネットから話題を引っ張ったり」

「ラジオはよく言われるように『ながらメディア』です。運転をしながら、洗濯をしながら、時計代わりに聞いてもらったらありがたいと思ってしゃべっていました」

 

放送中のラジオ体操コーナーで一緒に体を動かすことも

番組を続けるうちに、役場の窓口で町民から声をかけられることも増えたそう。「こっそり私に耳打ちするんです。『聞いてるよ』って。うれしい反面、気持ちは複雑です。窓口では笑顔だけれど、実際その方のご自宅は全壊、家族で仮設住宅に入って不安な日々をお過ごしなのをこちらは知っています。どう声をかけたらいいのか、正直戸惑うこともありました」。

 

それでも、ラジオをやってよかったと思うこともあったそうです。「普段からよく会う町民の方ですが、少し前に親族にご不幸があったんです。心配になって声をかけたら、その方が『ラジオから聞こえてくる丸山さんの“おはようございます”って第一声に救われたんだよね』とおっしゃっていました。ほんと、このときは続けてきてよかったと実感しましたね」。

 

 

実は、2年3カ月の間には放送終了の話が何度か持ち上がっていました。発災した2018年の年末、3月の年度末、震災から1年の節目のタイミング…。それでもメンバーは続けることを選択しました。「通常業務に支障が出なければ続けたかったんです。せめて仮設住宅がなくなるまでは」(丸山さん)。

 

新型コロナウイルス感染拡大の影響で時期は少しずれ込んだものの、2020年11月、すべての仮設住宅から災害住宅などへの引っ越しが完了したことを受けて、あつま災害エフエムの閉局が正式に決定。2020年12月29日が最後の放送となりました。

 

放送記念日や閉局にあたって届けられた花束もスタジオに飾られている

 

 

「空の色に気づかせてもらったね」

 

閉局の日もいつも通りの放送が行われました。最終日とあって関係者やリスナーから多くのメッセージが届きました。ここではそのメッセージの一部を紹介します。あつま災害エフエムがどれほど町民に親しまれてきたのか、きっと伝わることでしょう。

 

◎災害エフエムが終わると聞きました。少しずつ日常が戻ってきているのは喜ばしいことですが、少しというか、すごくさびしいです。パーソナリティーの方々に、空の色に気づかされた日がたくさんあります。改めてお礼をさせてください。

 

◎パーソナリティーのみなさん、長い間おつかれさまでした。毎日町民に寄り添って情報を発信していただき、心があたたまりました。感謝、感謝です。

 

◎みんなも被災者でありながら放送を続けてくださったこと、本当にお世話になりました。最初はたどたどしかったこともありましたが、今ではプロのアナウンサーのようですよ。

 

◎ときには癒やされて、ときには励まされて。助けられたね。最初は「厚真でこんなことができるの?」って思ったけどね。本当に名残惜しい。何かの機会に、厚真にラジオ局があったって振りかえることができたらいいね。

 

スタジオには開設当初から支援してくれた関係者も労いに訪れた

あつま災害エフエムが閉局するこの日、村上さんはもう一つのフィナーレを迎えました。地域おこし協力隊の卒業です。厚真に移住して3年目の2020年は、地域おこし協力隊の最終年でもありました。ラジオに出演していた2年3カ月の間、村上さんはカレー屋として独立するための準備を重ねていたのです。

 

店名は『出張カレー 試(こころみ)』。名前の通り、店舗を持たず、日替わりでお店を間借りして営業するスタイルです。現在は厚真町のほか、恵庭、千歳、栗山、白老に出店しています。厚真町の農家『堀田農園』のお米やしいたけ、新規就農者のほうれん草、厚真町産のハスカップなど、使用する食材の多くは厚真町産。協力隊の活動中に出会った素晴らしい生産者や食材の数々を、カレーを通じて発信したいと意気込みます。

 

ラジオを続けながらビジネスを立ち上げるのはたいへんだったはず。ラジオをやめようと思ったこともあったのでは?

「最初に声をかけていただきましたし、協力隊という立場もあり、無理せず続けられる限りは最後までやり遂げようと思っていました。特に3年目はカレーの活動が忙しかったけれど、みなさんに協力してもらって担当回数を減らすことで、最後まで番組を続けることができました」

「義務感というより、楽しかったからというのが本当のところです。震災から始まった放送局なので楽しいというのは不謹慎かもしれませんね。でも私自身、最初はとにかく『きちんと伝えよう』と思っていたものが、あるときから『リスナーさんに楽しんでもらおう』に変わり、最終的には『私も楽しんでいた』。だから続けられたのかもしれません」

 

協力隊卒業後は、住居と製造拠点を恵庭へ移して事業を行っていくそう。「これまでと変わらず厚真町産の素材は使い続けますし、仕入れのために通うのも変わりません。厚真町で実現したい企画もあるんです。食育をテーマにした体験型ツアーができたら面白いなと考えています」と語る村上さん。これからも厚真町に関わり続けることを約束してくれました。

 

 

くしくも二つの卒業が重なった村上さん。あつま災害エフエム最後のコールサインも、開局のとき同様、村上さんが行いました。緊張感で押しつぶされそうだったあの日とは違う、はつらつとした声で。

 

「JOYZ1O-FM、こちらは臨時災害放送局あつま災害エフエムです。これですべての放送を終了します。ありがとうございました!!」

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